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イスマンのプロフィールと今までの業績、議論になった騒動までまとめてご紹介!

アップデート : 2023-03-21

K-POPの基盤を築いてきた第一人者である、元SMエンターテインメント統括プロデューサーのイスマン。これまで数多くの功績を残してきたイスマンですが、経営権紛争や買収問題を巡り大きな議論が勃発しています。今回はイスマンのプロフィールと共にこれまでに業績や議論、騒動などを振り返っていきましょう!

イスマンのプロフィール

本名:イスマン(이수만)

生年月日:1952年6月18日

血液型:A型

出生地:釜山

学歴:ソウル大学校農科大学卒業、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校大学院卒業


釜山で生まれ、ソウルで育ったイスマンはエリート校と呼ばれる景福高校を卒業し、ソウル大学校農科大学に進学。


当時、喫茶店で歌を歌うアルバイトをしていたことをきっかけに、フォークデュオを結成。


ハードロックにも挑戦しますが、当時の政権に失望したことでかつてから思い描いていたエンジニアの道へ進むため渡米。


現地の大学院でロボット工学に関する修士号を取得して帰国し、歌手として活動した後レコード制作者の道へ進みました。

歌手としても有名だったイスマン

イスマンは1972年に「サウォル・グァ・オウォル(4月と5月)」を結成し、レコードデビュー。


その後もフォークロックバンドを結成しますが、所属事務所の騒動によってデビューすることはできませんでした。


しかしフォークソングでヒットを連発し、音楽番組のMCやラジオパーソナリティーにも抜擢。


そのため、イスマンと同年代の方やご年配の方には歌手として認知されています。


その後、プロデューサーとして大活躍してきたため、韓国では若い世代もほとんどイスマンの名前を知っており、幅広い世代の方に知られている存在です。

SMエンターテインメント設立

音楽活動をしながらカフェなどを経営し、なんと2億ウォン(約2000万円)を貯めたイスマンは、それを元手に1989年、SMエンターテインメントの前身となる「SM企画」を設立。


そして1995年に「SMエンターテインメント」として法人化し、韓国エンターテインメント産業の先駆者となりました。


社名の「SM」はイスマンのイニシャルと'Star Museum'の略語。


当時、韓国にはアイドル文化すらありませんでしたが、今度はアイドル時代が到来することを見越し、徹底的に企画されたアイドルグループを制作。


1990年代から2010年代まで圧倒的な人気を誇ってきたSMエンターテインメント所属のアイドルたちは皆、イスマンの“未来を見通す才能”から誕生した結果と言われています。

SMエンターテインメント総括プロデューサー

まだ「SM企画」であった1989年から2023年まで、SMエンターテインメントの統括プロデューサーとして活動してきたイスマン。


その功績は国内外で高く評価され、JYPエンターテインメントのパクジニョン代表、HYBEのパンシヒョク議長らも「イスマン先生がK-POPの道を切り開いてくれた」と称賛しています。


過去にはアメリカVarietyが選定する「世界で最も影響力のあるビジネスリーダー」に選ばれ、2018年には「大学生が考える最高のCEO」10位にランクイン。


一方で、2023年2月3日にSMTOWNのYouTubeチャンネルでアップロードされた発表でイソンス、タクヨンジュン共同代表がイスマンとSMの契約が終了したと明らかにしました。


イスマンはSMエンターテインメントの設立者であり総括プロデューサー、そして大株主ではあったものの、SMエンターテインメントの社長(会社代表)ではなく、経営は元々その道の専門家が指揮を取っています。

海外進出と外国人メンバーの導入

イスマンの業績が高く評価されているうちのひとつが、海外進出。


BoA東方神起の本格的な日本活動や海外進出を手掛けたのがイスマンで、これについてイスマンは自身の歌手経験から「当時、海外に自分のファンはいなかった。全世界までもは無理だとしてもアジアだけでも知られればそれはそれで幸福なことだし、そしてそれは国家的な経済にもつながる」と明かしています。


実際、2009年には東方神起が韓国アイドルとして初めて、日本の東京ドームで単独公演を開催。


BoAに至っては、日本で圧倒的な人気を集めていました。


また当時「外国人がK-POPアイドルとしてデビューする」という文化はありませんでしたが、SUPER JUNIORに中国人メンバーのハンギョン(すでに脱退)を加入させたことでも話題に。


現在では多国籍グループが当たり前になりましたが、あえて国籍や言語が異なる外国人メンバーを加入させることで、海外進出の計画をいち早く実現化しました。

アイドルの世界観文化

2012年にデビューしたEXOは「メンバーそれぞれに超能力がある」という独特な世界観とコンセプトで当時、新しいトレンドになりました。


これはあくまでコンセプトであるものの、これまでにはなかった世界観やストーリー性に魅了されたファンも多かったはず。


そして2020年にデビューしたaespaも独特な世界観が設定されており、こちらは「もう一人の自分」であるアバターを導入。


当時はこのコンセプトに「意味が分からない」「理解できない」という反応も多く上がりましたが、現在は仮想世界やメタバースを導入しているアイドルグループが増えていることを考えると、イスマンは世界観文化においても先駆者と言えそうです。

SM Rookiesで練習生を公開するシステム

今では当たり前になっている「練習生時代から本格的にメディアに露出させるシステム」も、SMエンターテインメントがその始まりでした。


イスマンは以前から日本のジャニーズ事務所のデビューシステムを称賛しており、2013年にSM Rookiesを開設。


デビューを目指すSMエンターテインメントの練習生たちが所属しており、Red Velvetアイリーンスルギウェンディイェリ、そしてNCTに至っては18名がこのSM Rookiesの出身です。


2013年にSM Rookiesとして公開されたNCTユウタは、その後SMエンターテインメントからデビューした初の日本人となりました。

開放と拡張のグループNCT

韓国でも日本でも、アイドルグループを辞めるメンバーは「脱退」または「卒業」と表現されます。


一方で、NCTは無限拡張グループとしてデビューし、曲やコンセプトによってメンバーが異なるという新しいシステムを採用。


そのため「脱退」という概念はもちろん、ユニットであってもメンバー数の上限がないのが特徴です。


イスマンが取り入れたこの新システムによって活動の幅が広がり、世界中で多くのファンを有しているNCT。


しかしイスマンが退いた2023年2月、イソンス、タクヨンジュン共同代表が「NCT東京のデビューを最後に無限拡張を終了する予定」と発表しています。

イスマンはなぜ批判されている?今までの騒動とは

SMエンターテインメントの独断的な経営

数多くの功績を残した一方で、批判を受けることも多いイスマン。


イスマンは個人会社「ライク企画」を設立しており、この会社とSMエンターテインメントが2022年までプロデューシング契約を結んでいました。


これにより毎年数十億円の印税を得ているとも言われていますが、この金額が大きすぎることが問題に。


また2003年には上場企業の経営者であるにも関わらず、横領によって処罰を受けたことがあり、独断的な経営を批判する声も上がっていました。

イスマンはSMを捨てた?

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