アップデート : 2021-08-20
明るく人情味溢れる韓国。実はそんな韓国にも、目を背けたくなるような、凶悪事件がいくつも起きていることはご存じですか?今回は、韓国で起きた、凄惨で、凶悪すぎる殺人事件をいくつかご紹介いたします… 刺激的な内容を含みますので、精神的影響を受けやすい方は、十分に注意してください。
2017年3月29日、実行犯であるキムは、小学校の下校時間に合わせて公園をうろついていました。
そこに被害者である小学生女児がやってきて、「友達と遊ぶことを両親に伝えたいので、携帯を貸してほしい」と、キムに頼みます。
するとキムは、「いま充電がないから、私の家においで」と、そのまま小学生を自宅へ誘拐し、隙を見てPCの充電ケーブルで小学生の首を絞め、殺害します。
キムは、数週間前にTwitterのコミュニティで知り合ったパクに殺害を報告。
殺人の報告を受けたパクは、CCTV(監視カメラ)に映ってないか尋ねたり、落ち着いて処理するよう、キムへ指示したそうです。
キムは死体をトイレで解剖し、臓器などは生ごみとして捨て、遺体はマンション屋上の貯水タンク上に遺棄しました。
また、指など、遺体の一部を切り取って袋に入れ、パクにその袋を渡したそうです。
パクは袋を受け取ったあと、キムと3時間ほど食事をしたり、歩き回ったりしたようですが、最終的にはもらった遺体を家の近所のゴミ箱に捨てたそうです。
CCTVにキムが映り込んでいたため、映像をもとにアパートで捜査が行われ、翌日の深夜にはキムは逮捕されました。
事件当時、2人ともが未成年であったことや、キムが精神疾患を患っていると主張したため、2018年9月の最終判決では、キムは懲役20年、パクは懲役13年の刑が確定しました。
また、自身の腕を搔きむしって自傷を行っており、それに気づいた担任が訳を聞くと「あの人たちがむかつくけど、あの人たちで発散したらだめだから、自分で発散してるんです」と答えたことも。
事件後、Twitterでは「なんか私の地元で小学生が行方不明になったみたい」とつぶやいていたり、その異常性から、韓国では、精神疾患ではなく、サイコパスではないかと疑う意見が多いようです。
この事件以降、日本と同様に、少年法に関して疑問視する声が多く上がり、韓国でも今なお、少年法のあり方について議論され続けています。
次にご紹介するるのは、「ソウル20人連続殺人事件」です。
これは2003年9月から2004年7月までに、主に富裕層の高齢者や、風俗嬢計21人が、ユヨンチョルによって殺害された連続殺人事件です。
2000年代に入って、以前よりも科学捜査が発達したのにも関わらず、20人もの人が同一人物に短期間で殺害されたという事件は、あまりにも衝撃的で、当時日本からも多くの関心が寄せられていました。
こちらも2008年に「추격자(チェイサー)」という名前で映画化されており、大学などの講義でもたびたび教材にされているようです。
犯人であるユヨンチョルは、1991年に元風俗嬢の女性と結婚しましたが、11年後の2002年に、一方的に離婚を突き付けられ、それ以降、女性に対して嫌悪感を抱くようになりました。
その後、女性と交際することもあったようですが、バツイチということがバレ、別れを告げられたようで、このあたりから女性に対して、歪な復讐心を抱くようになっていったのではないか、と言われています。
2003年9月、ソウル特別市江南区 新沙洞にある一軒家で、大学夫婦教授を殺害します。
この殺害を皮切りに、ユヨンチョルは富裕層の高齢者や、風俗嬢の女性ばかりを狙って殺害を行うようになりました。
犯行手口はどれも大胆なものでしたが、証拠をなくすためにわざわざ火を付けたり、被害者の身元を知られないように、指紋をつぶしたり、証拠を残さない巧妙な手口だったため、警察はなかなか足取りを追えずにいたようです。
2004年7月15日、風俗店の店主の通報により、ついにユヨンチョルは逮捕されます。
ユヨンチョルは事件の動機について、「女はふしだらであるべきではなく、金持ちは自分たちの所業を知るべきだ」と答えていたそうです。
2005年6月には、最高裁で死刑が確定されました。
しかし、韓国では1997年以降死刑は執行されておらず、2007年から、事実上死刑廃止国として区分されています。
そのため、ユヨンチョルの死刑も未だ執行されていません。
彼は、刑務所に入った後も、警備員の首を絞めたり、他の収監者達へ暴力をふるったり、今もなお、度々問題を起こし続けているそうです。
事件に対しても反省や懺悔といった気持ちを全く持ち合わせていないことから、韓国国内では死刑を望むものも少なくないようです。
この事件は日本からの関心も高かったためか、日本の事故物件検索サイト「大島てる」で、ユヨンチョルが犯行に使っていたとされる、物件の位置を確認することができます。
ちなみに、2012年には建物は取り壊され、2013年には新しい物件に建て直されたようです。
場所は、ホンデと新村の間に位置しており、新村駅からも徒歩数分で行けるため、韓国に詳しい方には少しびっくりな場所かもしれません。
最後にご紹介するるのは、「イヒョンホ誘拐殺人事件」です。
1991年、当時小学3年生だったイヒョンホ君が誘拐され、2か月後に漢江の排水路で遺体となって発見された事件です。
30年たった今も犯人は見つかっておらず、韓国3大未解決事件として、韓国国民の関心の高い事件です。
こちらも「그놈 목소리(あいつの声)」という名前で映画化されており、カンドンウォンが犯人役を演じたことでも話題となりました。
1991年1月29日、当時小学3年生だったイヒョンホ君は、夕方、アパートの公園で遊んでいた姿を最後に、行方が分からなくなりました。
そして、その日の夜以降、京畿道訛りの男性から脅迫電話がかかってくるようになります。
犯人は、ヒョンホ君の両親に、多額の身代金を要求し、これは、44日間で60回続いたそうです。
また、犯人は、脅迫電話の後に警察のふりをして再度電話をしたり、受け渡し場所をソウルのあちこちに指定して、警察に場所を特定されにくくしたり、かなり緻密に犯行を行っていきました。
ヒョンホくんの両親は、犯人のさまざまな要求を、言われた通りに行動しましたが、犯人はなかなか姿を現さず、警察も逮捕することができませんでした。
ヒョンホ君の両親と、警察が疲弊し始めたころ、「橋の下に鉄製のボックスを置いておきました。そこにお金を入れてください。今回が最後であることを肝に銘じておいてください。」という、犯人からの最後の要求連絡がきました。
ボックスを取りに来るところを捕まえようと、偽札を用意し、警察が張り込んでいましたが、この時警察は連絡ミスにより場所を間違え、結局犯人を捕まえられませんでした。
その夜、「偽札が混ざっています。子供を取り戻したくないんですね。」という電話を最後に、犯人からの連絡は途絶えました。
最後の呼び出しから1か月が過ぎた3月13日、漢江の排水路でヒョンホ君の遺体が発見されます。
当時はCCTV(監視カメラ)などが多くなかったことや、指紋が全く検出できなかったことなどから、犯人が一向に特定できず、今もなお未解決のまま、2006年に時効を迎えました。
ヒョンホ君は、司法解剖の結果、誘拐当日に食べたものが胃の中に残っていたそうです。
つまり、ヒョンホ君は誘拐された当日に、すでに殺されていたと推定されます。
犯人はヒョンホ君を殺害しておきながら、まるでヒョンホ君が生きているかのように振舞っていたという事実に、韓国国民はさらに強い怒りを感じでいるそうです。
また、犯行の手口が、日本を震撼させた「グリコ・森永事件」と似ていることから、犯人はこの事件を参考にしたのではないかともいわれています。