アップデート : 2020-07-27
80年代を代表する韓国の美人女優イミスク。ミスロッテコンテストで人気賞を受賞し、芸能界デビュー。主演女優賞や演技大賞など、さまざまな賞を受賞しているベテラン女優です。イミスクの基本プロフィールはもちろん、出演作品や結婚と離婚などの恋愛事情までをまとめてご紹介します!
名前:イミスク
ハングル:이미숙
生年月日:1960年4月2日
身長:162cm
体重:45kg
星座:おひつじ座
血液型:B型
出身地:韓国・忠清北道
趣味:映画鑑賞・ゴルフ
学歴:高麗大学校言論大学院
デビュー作:1979年映画「モモは世間知らず」
所属事務所:sidusHQ
イミスクは1978年高校3年在学の時、第3回ミスロッテ選抜大会で人気賞を受賞し、芸能界デビューしました。
当時イミスクは、自分が最高賞を受賞すると思っていましたが、ある出場者を見て無理だと感じたそうです。
その出場者は、イミスクと同い年の人気女優ウォンミンギョンでした。
そして最高賞はウォンミンギョンが受賞。
ちなみにウォンミンギョンはその後すぐに主演としてドラマデビューし、一躍人気者に。
一方のイミスクは、ウォンミンギョンの後に続き、1980年の映画「モモは世間知らず」で映画デビューを果たします。
この映画やその後の出演ドラマでの演技が評価されるなどし、着実に成果と人気を得ていきました。
そして、映画ではイミスク、ウォンミンギョン、イボヒと共に、ドラマではイミスク、ウォンミンギョン、チョエリと共に1980年代トロイカ(3人組)と呼ばれるようになり人気を集めていったようです!
これまで出演してきた作品のイメージから、「静かな女性」のイメージを持たれることが多いようです。実際の性格はどうなのでしょうか。
イミスクは今の女優としての堂々とした姿からは想像できないですが、人見知りで奥手だったようです。
しかし、昔のインタビューでは自身の性格について「明るい性格」と話しています。
ドラマで一緒になった周りのスタッフも
「静かで落ち着いた女性のイメージで固められているようだが、実際はそうではない。素直で気さくで笑い話をするのも上手。明るい性格だと思う」
とイミスクの印象を話しているとのことです。
イメージとは反対に気さくで明るい性格!人見知りも克服したようですね!
『女性列伝 ファン・ジニ』(1982年/MBC)
『エデンの東』(2008年/MBC)
『シンデレラのお姉さん』(2010年/KBS)
『運命の誘惑』(2010年/SBS)
『千日の約束』(2011年/SBS)
『ラブレイン』(2012年/KBS)
『私たち結婚できるかな?』(2012年/JTBC)
『最高です!スンシンちゃん』(2013年/KBS)
『輝くロマンス』(2013年/MBC)
『ミス・コリア』(2013年/MBC)
『アイアンマン~君を抱きしめたい』(2014年/KBS)
『バラ色の恋人たち』(2014年/MBC)
『嫉妬の化身』(2016年/SBS)
『愛の温度』(2017年/SBS)
『カネの花』(2017~2018年/MBC)
『油っこいロマンス』(2018年/SBS)
『彼女はといえば』(2018年/SBS)
【出演映画】(一部抜粋)
『モモは世間知らず』(1980年)
『火の鳥』(1980年)
『その年の冬は暖かかった』(1984年)
『卒業旅行』(1985年)
『桑の葉』(1985年)
『情事』(1988年)
『鯨とり』(1988年)
『燃えゆる月』(2000年)
『ベサメムーチョ』(2001年)
『ウララ・シスターズ』(2002年)
『アメノナカノ青空』(2003年)
『スキャンダル』(2003年)
『お熱いのが好き』(2008年)
『女優たち』(2009年)
『臍(へそ)』(2013年)
『造られた殺人』(2015年)
『群山:鵞鳥を咏う』(2018年)
1980年映画「モモは世間知らず」の「マルジャ」役で女優デビューを果たしました。
1982年のドラマ「女性列伝 ファン・ジニ」で主役「ファン・ジニ」役を演じ、人気を集めていきました。
1983年には女優の収入ランキングで3位にもなったのだとか!
1986年の映画「桑の葉」で体当たりの演技を披露し、第6回韓国映画評論家協会賞、第31回アジア太平洋映画祭で主演女優賞を受賞。一躍有名になりトップ女優となりました。
その後、活動を一時休止していましたが、1988年の映画「情事」で復帰。
この作品で第19回韓国映画評論家協会賞、第7回春史大賞映画祭の主演女優賞を受賞します。
2013年のドラマ「最高です!スンシンちゃん」では、主人公が憧れる大女優「ソン・ミリョン」役を熱演。
この作品で2013年KBS演技大賞長編ドラマ部門女性優秀演技賞を受賞しました。
1983年、歌の王チョヨンピルとの熱愛が報道されました。
イミスクが22歳の時、当時人気絶頂の9歳年上の歌手チョヨンピルと恋人関係にあったそうです。
しかし、この年にチョヨンピルはパクチスクという別の女性と結婚予定であると報道されます。
1975年にチョヨンピルとパクチスクは出会い、交際に発展したとのことです。
1983年にイミスクとチョヨンピルのスキャンダルについて記者の取材が入りました。
これがメディアに報道され騒動になる直前に、チョヨンピルとパクチスクは秘密で結婚式を挙げたそうです。
これに対し世間では、”イミスクとのスキャンダルを防ぐため、急いで結婚式を挙げたのではないか”と噂されました。
しかし実際は、既に婚姻届けは提出していました。
このスキャンダルの真実に対しての議論が多く、イミスクがチョヨンピルとの関係をわざわざマスコミに流したという誤解もありました。
ヨンピルの結婚式の事実を知ったイミスクは意外にも、「結婚おめでとう」とコメント。
そして、数十年後イミスクは
「ヨンピルおじさん…まぁ過ぎた過去の若い思い出です。 良い思い出でした。私の胸に刻まれる、20代で最も良い思い出でした。」
と当時を振り返っています。
有名作家チェインホは1984年の映画「鯨とり」の原作者です。
チェインホは映画製作にも関与していて、その時にイミスクと親しくなったようです。
1986年にイミスクとチェインホが2人で香港で密会していると報道されます。
イミスクに非難が集中しました。
当時、チェインホには妻がいる既婚者だったからです。
当時イミスクは26歳、チェインホは41歳!
イミスクは「作家としてチェインホさんが好きで、彼も私を女優として好んでいるだけ。香港に行ったのは、純粋なビジネスで映画会社の常務も一緒に行った。」とコメント。
チェインホは「40日前にすべて終わった話で、妻にも全部話した。はっきり言うがすべて終わったことだ。」とコメントしました。
「鯨とり」は密会の2年前の1984年に映画化し、公開されています。
女優のイミスクが香港映画関係者と会うことはあるが、原作者のチェインホが香港へ行く必要はないという意見も。
2人のコメントにも違いがありますね。
チェインホのコメントを見ると、熱愛関係にあったのではないかと考えらるのではないでしょか。
イミスクは、1986年9月に成形外科専門医ホンソンホ博士と結婚しました。
1988年3月に結婚式を挙げ、一時芸能活動を休止します。
そして長男と長女を出産しました。
1988年の「情事」で女優復帰し、結婚活動も順調に見えましたが…
2007年、結婚20年目にして離婚。
2001年から子供たちがアメリカへ留学しています。
ホンソンホは成形外科をたたみ、子供たちの世話をするため一緒に渡米していました。
そのため、離婚6年前から別居生活を行っていました。
別居生活の期間、互いに仕事に没頭するあまり、愛情が冷めていってしまったことが離婚の理由であると明かしています。
争いなどがあったわけではなく、これからも友人として永遠に良い関係を維持することを約束しているとのことです。
2人の子供の養育権はイミスクが持っています。
イミスクの前所属事務所が、イミスクが専属契約を違反したとして、2011年にイミスクに対し約3億ウォン(約2660万円)の損害賠償を求める訴訟を起こしています。
この専属契約紛争の裁判中
「イミスクは離婚する前に、17歳年下のホストの男性と関係を持ち、これを隠すために5000万ウォン(約434万円)を使った」
と前事務所が発言し、問題になりました。
イミスクはこれに対し
「芸能人である1人の女性として、母として、妻として、後悔のないように一生懸命に生きてきた」
とスキャンダルを否定。
前事務所と報道した記者らを相手取り「虚偽事実を流し、名誉と人格を否定した」として10億ウォン(約8700万円)の損害賠償請求訴訟を起こしました。
前事務所との契約問題は、イミスクの敗訴。イミスクは前事務所に1億2100万ウォン(約1046万円)を賠償することに。
イミスクはこれを不服として控訴していました。
しかし2013年3月、イミスクは契約問題や損害賠償の控訴を諦めて、演技に集中することに。
イミスクは
「訴訟がなければ女優として生きるに値する。相手は私を陥れようとしているので、熱心に仕事や運動をして、自分がうまくいくことだけをする」
と理由を述べています。
チャンジャヨン事件とは、2009年に女優チャンジャヨンが性的接待を強要され、自殺を図った事件です。
イミスクがこのチャンジャヨン事件に関与していると、前所属事務所が契約問題の裁判の中で暴露しました。
暴露された当時は、同時に暴露された17歳年下男性とのスキャンダルが注目され、そちらばかりが報道されたようです。
2018年、当時の捜査が不透明のまま終了していること、該当者の処分が甘いことが問題視され、事件が再注目されました。
そして当時故人の先輩であったイミスクの名前も再浮上したようです。
当時イミスクは、この事件に関してと沈黙を貫いていました。
後輩の死に対して沈黙を貫くイミスクに非難が殺到。
そして10年経った2019年にイミスク自ら検察に出頭し事情聴取を受けました。
「若くして切ない死を迎えた新人俳優に対する発言が歪んだ編集をされ、ゴシップの1つとして注目されるのが心配だったため」と沈黙を貫いていた理由を明かしました。
イミスクは「故人の名誉が回復し、死に対する誤解と疑惑が残らないように最善を尽くす」とコメントしています。