上段左から)V、JUNGKOOK、JIN、J-HOPE
下段左から)RM、JIMIN、SUGA
まずはBTSがどんなグループなのか簡単にご紹介します!
BTSは2013年6月13日にBigHitエンターテイメントからデビューしました。
韓国のアイドル三大事務所であるSM、JYP、YGの規模からは程遠い小さな事務所だったため
ファンの数はあまり多くありませんでした。
しかしアイドルとしては珍しいヒップホップコンセプトだったため注目を浴び、デビューショーケースでは
新人グループにしてはかなり多い放送時間を獲得。
人気に火が付くか・・・と思いきや思うように伸びず、人気は滞る形となりました。
デビュー曲「No More Dream」の発表から約692日後の2015年5月8日(KBS ミュージックバンク)に
地上波で初の1位を獲得しました!
2013年の年末の大賞で新人賞を総なめにしたり、その後本賞を獲得したりするも1位を獲得するのは初めて!
「今度こそは!」と曲制作に携わるシュガ、RM、ホソクは意気込んだと話しています。
なんと曲の制作にかける時間は普段の2倍以上だったそう…
作業室に入り浸りだとされるBTSですが、この時は本当に衣食住よりも曲制作を優先していたのかもしれませんね…
BTSが1位を獲得し、さらにここまで成長できたことについて様々な考察がありますが
その中でも一番多いのが
「SNSを賢く利用したこと」と「コンセプトの変更」です。
コンセプトを変えてからヒットするグループは数多く存在しますが、BTSもそのうちの一つ。
デビュー当時はヒップホップをメインに曲を制作していましたが、花様年華からは
それまでのコンセプトを一変して、青年らしく爽やかな雰囲気に。
メイクや衣装も変え、BTSの素材の良さをうまく生かすことができました。
では実際にBTS各メンバーのデビューまでのエピソードを振り返っていきましょう。
動画があるめんばーについては動画を挿入したので、彼らの初々しい姿をぜひ視聴してみてくださいね。
RM
キム・ナムジュン
1994年9月12日生まれ
まずはBTSを率いるリーダーのRM(キム・ナムジュン)。
RMはIQが148と言われるほど頭が良く、全校では1位、全国ではわずか1.3%に含まれる秀才でした。
英語が堪能で、昨年は国連でもスピーチするほどでしたが、黒人の英語に憧れて習得したそうです。
最近では日本語を話すときの訛りもほとんど無くなり、より流暢に日本語が話せるようになりましたね!
さらには自己啓発本をよく読むなど、とにかく勉強熱心なRM。
もちろん両親には将来を期待されていました。
そんなRMが音楽の道に進むようになったのはエピックハイという韓国の実力派ラッパーの『Fly』を
聴いて感動したことがきっかけです。
曲制作を開始し、地元の京畿道高陽市でアンダーグランド(HIP HOP用語でメジャーではないこと)で
活動していました。
当時は“大南朝鮮ヒップホップ協同組合”に籍を置いて「RunchRanda」という名前で活動していました。
15歳の頃にBlock Bジコとコラボするなど、アンダーグランド界ではかなり有名だったらしいです。
そんな時、Untouchable(アンタッチャブル)のスリーピーという方がRMを発見。
彼を通してBigHitエンターテイメントのプロデューサーに紹介され、オーディションの末
練習生となることができました。
JIN
キム・ソクジン
1992年12月4日生まれ
続いてBTSの最年長JIN(キム・ソクジン)。
彼は大学生の頃にスカウトされBig Hitにの練習生となりました。
建国大学に通っていたJINですが、当時は俳優を目指して‘‘映画芸術学科‘‘に進学しました。
ミュージカル俳優として活躍するため、ミュージカル用の発生方法を練習していたため
Big Hitオーディションでの審査員の反応はいまひとつ…
ただ‘‘ワールドワイドハンサム‘‘と自負するだけあって、容姿は一流。
無事に練習生として他のメンバーと合流することができました。
スカウトでBig Hitオーディションを受けることになったJINですが、彼には凄い逸話があるんです!
それは大手事務所のSMにスカウトされたということ。
それも中学生の頃の話で、あろうことか「詐欺だろう」とスカウトを断ったそう…
そんな逸話を持JIN。
デビュー当時はクールなイケメンでしたが、花様年華を機にキャラが豹変!
おやじギャグ大好きで少しビビりなキャラをオープン!
「弟たちが基準線の外に出ないように」としっかりした一面を持ちつつも、唯一無二のキャラを持っています。
お次は音楽に対して人一倍情熱を注ぐSUGA(ミン・ユンギ)。
彼は両親や教師など周囲の反対を受けながらも音楽活動を続け、念願のデビューを果たしたメンバーです。
RMと同じくアンダーグランドで活躍していて活動名は「gloss」
これは自身の名前の意味からとったそうです。(韓国語でユンギ=艶/英語で艶=gloss)
きっかけはこれもRMと同じくエピックハイの『Fly』を聴いたことから。
地元の大邱で『D-Town』のビートメイカーとして音楽制作を続けていました。
バイトをしながら音楽制作をしていたので時間的にも金銭的にも相当苦しい生活を送っていました。
両親からの反対もあったということなので相当苦しそうですよね…
ちなみにデビュー前は「‘‘1YTM‘‘(韓国のヒップホップグループ)としてでびゅーするから」と
言われていましたが、急遽路線を変更してヒップホップアイドルグループに。
「アイドルがラップなんて」シュガのパートによく出てくる歌詞ですが
実際に「アイドルがラップできるのか?」とかなり馬鹿にされたそう…
当時馬鹿にしてきた奴を原動力に変え、彼の音楽を通して
見事グループを成功に導くことができました!
そんな彼を一番近くで支えていたのが兄でした。
精神病にもかかったということでしたが、おそらく一番の理解者はお兄さんなんでしょうね…